好きな武将とその理由
本日のテーマは「好きな武将とその理由」というテーマでお話ししようと思います。
僕が一番最初に好きになった戦国武将は「織田信長」です。
これはなんでかって言うと、
僕が初めて火縄銃の演武と出会ったお祭りの名前が「信長公黄葉まつり」っていうお祭りで、
このお祭り自体は最初からこの名前だったわけじゃなくて、
最初はもっと小さい規模の蚤の市・フリーマーケットみたいな、
そういう本当に小さいイベントから始まりました。
で、年々ちょっとずつその規模が大きくなって、
近所の蕎麦屋さんとかお饅頭屋さんが出店するという規模から、
だんだん外からケータリングなどのB 級グルメの露店が並ぶようになり、
地元の小学生・中学生とかが何か見世物を披露したりするようになり、
そういう感じで、年々少しずつ少しずつ大きくなっていったお祭りなんですね。
僕自身も本当に小学校の小さい頃からお婆ちゃんに連れてってもらって、
毎年毎年行ってたんですよね。
で、中学2年生の時に初めて鉄砲隊が呼ばれて、そこで火縄銃と出会う、と。
そういうことですね。
確かその火縄銃の演舞を取り入れた年だったか、その前の年だったか忘れちゃったんですけど
そのお祭りの会場に信長公の首塚があるよっていうことで、
それに由来して鉄炮隊を呼んだんでしょうね。
それで「信長公黄葉まつり」っていう名前としてそれ以降だんだん規模が大きくなっていくようになりました。
2018年 信長公黄葉まつり
2019年 信長公黄葉まつり
で、その時に火縄銃に出会ったのがとても僕にとっては大きなきっかけになりまして、
火縄銃といえばやっぱり信長っていうのもあったし、そもそもそのお祭りの名前が信長だったので調べたりしましたね。
で、やっぱり、わかりやすいですよね。
画期的な施策をどんどん打ち出していって、みるみるうちに天下統一に近づいていって領土を広げていき、
様々なピンチを切り抜けて成長していくその姿っていうのは、何か憧れるじゃないですか。
ヒーロー漫画で例えるとちょっと変かもしれないんですけど
どんどん成長していく姿っていうのは、やっぱり憧れですよね。そこだけ切り取ってみると。
ただでも、実際にもっと深掘りしていくといいことばっかりじゃなくて、
本当に生死をさまようようなギリギリのところを必死に生きてきたっていうところも後々分かってくるんですけど、
でもやっぱり一番最初は、そういう分かりやすい所(快進撃や活躍)というのがやっぱり憧れで、
そういうところ見て好きになりましたね。
で、信長についていろいろ調べていくと、やっぱりあのいろんな戦国武将が関わってくるじゃないですか。
武田信玄もそうだし、今川義元もそうだし、徳川家康、豊臣秀吉…
今、大河とかで話題になってる明智光秀もそうだし、
本当に様々な武将が登場してくるんですよね。
有名な武将から、ちょっとまだマイナーな武将までいるんですけど、
やっぱり出てくると、その関わってきた武将とかもやっぱ気になってきちゃうんですよね。
武田信玄ってどんな人だったんだろう?とかね。
で、武田信玄のことを調べると今度は北条ってどんな人?とか、上杉ってどんな人?みたいな感じで、どんどん派生して行ってしまって…
結局、気づいたらいろんな人のことを調べていて、
みんな好きになっていたっていう状態になってしまって。笑
今、誰が一番好きか?って言われると、正直わからないです。
みんな好きなんです。そう、好きなんですよ。
やっぱり、いろいろ調べていくと、
それぞれその苦労だったりとか、境遇や置かれた立場で最善を尽くして生きてきたという、そういう姿が分かるので
そういうのを見ていくと、みんなかっこいいなって思いますね。
みんな命がけで領民を守ったりするために生きてきた人たちなので
やっぱり尊敬するところは大きいですね。
で、一番ぼくの中で印象が変わった武将がいて、それが「今川義元」でした。
やっぱり、信長から入った僕としては今川義元ってすごい弱かったと言うんですかね…
領土はそれなりにあったし、元々、守護大名でいいところから領地を預けられて納めていた昔ながらのその老舗じゃないですけど、名門の家だったのに
立ち上がったばかりの織田軍にやられてしまったっていう、そういう事実があるので
何かやっぱり、どうしても印象としては一番最初はあまり好印象ではなかったです。
ただ、信長というところから今川義元を調べていくと、
この人は実はすごいんじゃないかっていう風にだんだんと印象が変わってきました。
やっぱり、誰かがつけたイメージとか噂話とか、自分が確認していないのにそういった風潮に流されて知ろうとしない(決めつけて知ろうとしない・考えようとしない)っていうのは、すごいもったいないんだなっていうのをその時に同時に感じましたね。
自分で見たり経験するっていうことをしないと、その本質に気づけないことの方が大半なので、やっぱり決めつけたり思い込みで本物に携わる機会を失うっていうのは本当に重大な機会損失をしているんだなっていう風に思いましたね。
やっぱり調べていくと本当にすごいんですよね。
戦国武将の先駆けと言っていいほど、分国法のような自分の国を自分で統治するみたいな、そういう法律とかを考えて(実際に考えたのは義元のお父さんで、そういう法律ができたんですけど)
今川仮名目録っていう独自のルールがあったんですけど、
それにさらに追加でルールを足して、今川義元の時にはっきりと「私たちの領地は私たちが管理する」って言い切ってるんですよね。
お父さんの時はちょっとその辺は濁してたんですけど、義元の代ではっきりと宣言しちゃってるんですよね。
そういうのもあったり、その当時、戦国時代の今までの常識とかっていうのを覆すような新しい政策を打ち出したりとか、
それにならって、信長も義元から見習って楽市楽座をやったりとか、
武田信玄も、喧嘩両成敗とかっていう言葉があったりするんですけど、それも確か今川仮名目録の中にあるルールの一つに似たような決まり事があって、そこから真似て取り入れたっていう話もありますし。
本当にね、その周辺の武将にも影響しているとても素晴らしい武将だったんだなっていうのが、調べていくとわかりました。
もっとたくさんあるんですけどね、いいところとすごいところは。
ちょっと、収録時間がかなり長引いてしまうのでこの辺にしておくんですけど、
でもね、本当に歴史とか戦国時代とか日本文化とか難しいって思い込んでる人って結構いると思うんですけど、
ちょっとでもいいので体験してみたり、調べてみたり、興味を持ってもらいたいんですよね。
興味を持ってもらうために、 YouTube(※1) だったりとかこういった音声配信(※2)だったりとかで発信活動しているんですけども、これがきっかけになればいいかなと思ってて。
その先にどれだけ調べるかっていうのはその人達次第なんですけど、
でも本当に面白いんですよね。面白いです。
これはね、体験してみたり自分で見てみないと分からないことなんですけど、
「あ、そんなことあったんだ」とか、「意外だなー」とか、「あ、これとこれつながってたんだ」とか、
いろんな発見があるし、後は、現代にも生かせるようなこと教訓だったり考え方だったり、すごいいっぱいあるんですよね。
なので、歴史を学ぶとかっていうことは現代においてどういうふうに自分が生きていくかっていうことを考える判断材料にもなりうるので…
というか、なります。これは間違いなく。
なので、是非とも学校で教えてもらえるような、出来事の暗記だけじゃなくて、
出来事が起こった理由とか、その人たちがどうしてそういう選択をしたのかとか、
そういうところまで踏み込んで妄想して考えると結構面白かったりします。
ちょっと話が逸れてしまったんですけど、
今日のテーマは好きな武将とその理由ということでお話ししました。
それでは素敵な1日をお過ごし下さい。
佐野翔平でした。
・Twitter【火縄銃男子】しょうへい (@shohei_sano_)
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