義元左文字復元プロジェクト
本日のテーマは「義元左文字復元プロジェクト」というテーマでお話ししようと思います。
昨日、僕の好きな武将とその理由っていうテーマでお話しさせてもらった時に、義元が好きだよっていうお話をしました。
で、なんで好きになったかって言うと、義元の事を調べていたら最初の頃に抱いていたイメージと全然違くて、
本当は素晴らしい戦国武将だったんじゃないかっていうことが分かってきたというところから、その武将に興味を持つようになりました。
で、それ以外に今川義元が静岡県(昔でいう駿府)をおさめていた武将っていうこともあり、僕の今住んでるところも静岡なので、縁がある武将だから、ちょっと持ち上げたいな・応援したいなって思ったのもあり、好きになりました。
で、テーマで言った「義元左文字復元プロジェクト」って何?っていうところなんですけど
その時に義元が身につけていた太刀(刀)があるんですけど、それを戦利品として持って行ったっていうお話があります。
これは信長公記っていう細かく書いてある資料がありまして、その信長公記にも
討ち取った刀に信長が戦勝記念として象嵌(彫り物)を掘っていて、
刀の見えないところに文字を刻んで、”何月何日義元を討ち取りました”
っていう記念の彫り物を施したんですよね。
で、それがずっと伝わっていって、現代にも残っています。
一度、火災に遭ってしまって焼き直しをしたっていう状態ではあるので、義元が身につけていた当時の姿形のままではないんですけど
一応そういういわれを持つ刀が現代にも存在しています。
で、その義元左文字復元プロジェクトっていうのが
義元公が身につけていた時の太刀のが大きさをもう1回再現・復元しよう
っていう、そういう取り組みですね。
資料自体は、明確にこれだっていう資料はないんですけれども
2尺6寸の長さがあったっていう情報があります。
で、その写しと言うか、墨で書かれた設計図みたいなものはもう残ってはいないので
長さの情報しかないんですよね、確実に言える情報としては。
ただ、左文字っていう刀工ですね、左っていう刀工が作っている刀は、他にもいくつか残っていまして、
現存する太刀であれば江雪左文字という太刀が残っています。
で、そういう同じ刀工集団が作っている刀っていうのは存在しているので
それらの作風だったりとかを参考にして、こういう姿だったんじゃないかという姿を研究して導き出していって、それを作ろうとしているわけですね。
で、なんでそんなものを作ろうとしたかと言うと、
今川義元に対するイメージがそもそもないっていう人にはあまり伝わらないかもしれないんですけれど
何となく今川義元っていうと、大勢の兵隊を持っていたのにも関わらず、圧倒的に不利な立場だった少ししかいない兵隊を率いていた信長に負けてしまった弱い武将だったとか、
馬にも乗れなかったんじゃないかとか、刀を振ることができなかったんじゃないかとか、
そういう悪い噂がやっぱり広まっちゃったんですね。
圧倒的な戦力差の中で負けてしまったっていう事実があるので。
あとは、だいたい大河ドラマだったりとか時代ものをテーマにしたドラマだったり漫画とかもそうなんですけど
信長が主人公になることが大概多いんですよね。
で、そうなってくると、やっぱりその主人公である織田信長をより際立たせるために、やられ役である今川義元を悪く描くわけですよね。
小太りにしてみたり、短足にしてみたりとか。
いろんなそういう少し都合の悪いようなことばかりが上乗せされてしまい、そう言った印象が広まると、やっぱりあんまり良くは思わないじゃないですか。
そういうイメージばかりが先行してしまって、実際に義元が残した功績だったりとか実力、他にどんな凄い事やっていたのかっていうところにもそもそも目を向けてもらえない。なので、そういう状態をなんとかしたいなって思ったのがきっかけなんですよね。一番最初は。
で、この義元左文字っていうのは太刀なんですよね。
太刀と打刀っていうのは、形とかサイズとか諸々違ってくるところはあるんですけど、
2尺6寸の太刀って言うとまあまあ大きいんですよね。刀の中では。
もちろん刀の長さが長くなってくると、重量もそれなりに重くなるし
取り回し自体がとても難しいんですよね、短いものに比べると。
そういったものを扱うことができた武将ってなると、やっぱり並の武将じゃないんですよ。
難しい武器を取り扱えるってことは、それなりに武芸に秀でていたとか、そういった実力がないと、そんな使い物にならないような武器を身につけることってのはそうそうないので、やっぱりそういう刀を使ってたってことは、戦うこともできたし、それなりに武術を極めていたってことに繋がるんじゃないかなと考えています。
まぁ、そうは言っても、文字に書かれている二尺六寸の刀を使っていたからこの人はすごい人なんだよっていうのを、
いくら文字だったり言葉で説明したところで、イメージって結局そこまで及ばないと思ってて。
だったら、いっそのことその資料は少ないけれども、可能な限りかき集めて、
こうだったんじゃないか?ってものを復元しちゃおうっていう風に思ったんですよ。
で、実際に2尺6寸というデータもあるし、そんな豪壮な太刀を作り上げることができれば、実際に見てもらうことができて、百聞は一見にしかずとよく言うように、
「こんな長くて重たい物を使っていたんだ」
っていう風に、一目見ればこれを使ってたんだ、すごい人だなって思ってもらえるんじゃないかって思ったんですよ。
なので、その義元公のイメージっていうものを良くするというか、悪いイメージからイメージに変えるために、というのと
あとは義元本人にもっと興味を持ってもらうために。
そこから静岡、地元に対してどういう風に貢献していけるか。
話題を作ることができれば、地元に何か貢献できるんじゃないかなっていうところもあって、そういう色々な思惑がありまして
義元公をもっと良い風に見てもらいたい
地元をもっと盛り上げたい
自分が好きな武将なので、もっと知ってもらいたい
とか、いろんなそういう考えがあって始めました。
で、そのプロジェクトには歴史の研究家としては有名な「小和田哲男先生」にも加わってもらい、
あとは笑点の司会者をやられている「春風亭昇太師匠」にも参加して頂いています。
もちろん、その二人が何で関わってるかって言うと、お二人とも静岡に関係のある人だし、
小和田先生に関しては、今川研究の第一任者と呼ばれるほど今川氏をとても研究している方で、
僕がその今川を勉強するにあたって参考にした書籍は小和田先生のものががやっぱり多いです。
昇太師匠は、静岡出身の人っていうのもそうなんですけど、おんな城主直虎(大河ドラマ)の時に今川義元役をやられてたっていうのもあって、そこにも縁を感じています。
で、たまたま地元の信長公黄葉まつりにお話をするためにいらっしゃってたんですね。
その時にタイミングはここしかないだろうっていうことで、声をかけさせていただきました。
「こういうプロジェクトをやってるんですけどもしあの興味があるようであれば何か協力していただけないでしょうか」と。
いわゆるナンパですよね。
そういう形で、図々しく声をかけさせてもらって、そしたらありがたいことに
「僕にできることであれば協力するよ」って言ってくださったんですよね。
もちろん、本人が静岡出身というのもそうだし、ご本人も歴史が好きなので、そういうところに関われることを嬉しいって言ってくださったんですよね。
というのもあって、始まりましたね。
このプロジェクト自体は2017年に発足していて、2019年の義元公の生誕500年に合わせて刀を完成させる予定だったんですけど
やっぱり刀作りっていうのは非常に難しくて、思うように進んでおりません。
つい先日も、刀を作るためにまた挑戦したんですけど、ちょっと材料の段階で不具合が出てしまって、またやり直しの状況になっています。
でも、今更なんですけど、近いうちに左文字復元プロジェクトの進捗情報などが見れるホームページを作ろうと思っています。
今までは Twitter をメインに告知していたんですけど、やっぱりそれだと届く層に限界があるなと思いました。
🔻公式ツイッター
なので、これからはサイトを通じて、進捗状況を報告やイベントの告知などをそこで行ったり、問い合わせページを設けてお問い合わせを受付けることができたらいいなと思っています。
2019年5月 火造りまで進めた太刀
右から水木氏(刀匠)、私、小和田哲夫先生、内田氏(刀匠)
春風亭昇太師匠
公式YouTubeチャンネル
左文字復元プロジェクトの詳細については、またお話ししたいなと思います。
ということで、本日は義元左文字復元プロジェクトについてお話ししました。
それでは素敵な1日をお過ごし下さい。
佐野翔平でした。
・Twitter【火縄銃男子】しょうへい (@shohei_sano_)
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