火縄銃男子「佐野翔平」の徒然日記

音声配信「現代に生きる武士の徒然配信」を紹介しています。

火縄銃の値段(後編)

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本日のテーマは「火縄銃の値段(後編)」というテーマでお話ししようと思います。

 

 

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昨日ですね、火縄銃の値段というテーマでお話しさせてもらったんですけど

ちょっと時間が押してしまいまして、後半はまた明日という風にお話しさせて頂きましたので、本日はその続きですね。

昨日の続きの話をしたいと思います。

 

 

🔻前編はこちら

https://sanoshohei.hateblo.jp/entry/2020/11/01/102846

sanoshohei.hateblo.jp

 

 

昨日の話で、戦国時代のお金の価値と現代のお金の価値の基準と言うか、

現代のお金に換算したら大体いくらぐらいになるか?

みたいなお話をさせてもらったので、

一応昨日の放送を聞いていただいて内容はある程度理解してもらってるという前提で今日は話を進めていこうと思います。

 

 

 

 

改めて、火縄銃が伝来した時の話をします。

 

鉄砲伝来という風に言われています。

1543年種子島(現在の鹿児島県)にて、当時の領主と言うか責任者というんですかね、種子島時堯(たねがしま ときたか)という人物がいまして

その時堯がポルトガル商人より鉄砲を二挺(ちょう)買いました。

これがいわゆる鉄砲伝来という出来事ですね。

これを機に日本人の戦の戦法が大きく変わってきました。

 

で、気になるところ。

当時一体いくらで火縄銃を購入したのでしょうか?

というところですね。

 

でこれについては、インターネットで調べても諸説出てくるんですけど、

意外と根拠っていうのがはっきりとしてなかったので

自分の中では結構モヤモヤしてたんですよね。

大体いくらぐらいだったって書いてあるけど本当なのかな?ってすごい疑問に思ったので、

自分なりに調べてみようと思っていろいろな本を書い買い漁り、読み漁り…

で、なんとか「多分この金額なんじゃないかな?」っていう風に導き出しました。

一応、僕自身が参考にした資料についてちょっと紹介しようと思います。

 

まず一つ目は「鉄砲記」っていう資料ですね。

これはだいたい火縄銃とか歴史が好きな方は知ってるかと思います。 

二つ目が、「 南島偉功伝(なんとういこうでん)」。

三つ目が、「遍歴記(へんれきき)」っていう書物ですね。

 

鉄砲記と南東偉功伝というのは、日本の著者なんですけど、この遍歴記っていうのは海外の人ですね。

フェルナン・メンデス・ピントっていう方が著した本になります。

 

ja.wikipedia.org

 

この人も昔の人ですね。火縄銃が日本に伝来してきた当時に生きてた人ですね。

 

四つ目が「東洋遍歴記(とうようへんれきき)」というもので

これはさっき言った三つ目に言った遍歴記のフェルナンメンデスピントの著書を日本語訳したものですね。

 

その四つを主に参考にして、お金いくらで買ったのかっていうのをちょっと追求してみました。

 

 

この上記の資料の中で、価格について触れている部分(キーワード)がありまして

鉄砲旗に書かれている金額に関するキーワードが

「その価(ね) 高くして 及び難し」

と書いてあります。

 

その”価”は価格の価と書いて「ね(値)」なんですけど

まぁ現代語訳すると、

「めちゃくちゃ高かったよ」

ということです。シンプルに。

 

その価 高くして 及び難し

 

もうすごい、とてもとても高かったです、と。そういう風に書いてあります。

 

で、南東偉功伝のほうには

「鉄砲謙譲の例に 2000金送った」

と書いてありました。 

昨日も、小判とか金一両とかが大体いくらかって話をしたんですけど、

その2000金ですね。

 

三番と四番は内容が一緒なんですけど

 「お礼に 銀1000タイル もらった」

 

と書かれていました。

”もらった”っていうのは。このフェルナン・メンデス・ピントの目線からなので、鉄砲を売ったお礼に2000タイルもらったということですね。

 

タイルって言うのが何なのかと言うと、昔の単位というんですかね。

15世紀末~19世紀にかけてヨーロッパ各地に通用した元プロイセンの銀貨の名前で、

ドイツでは長く貨幣単位とされたと言われています。

 

なんか似たような単位だと、タールとかってのがあるのかな?

とにかく銀1000タイルもらったと、そういう風に表記されていました。

 

前編で言った換算率に照らし合わせて計算すると

二番の南東偉功伝に書かれている

2000金を現代のお金に換算した場合、

 

金一両が大体724000円だったので、

724000円×2000=約14億4800万

 

になります。

鉄砲2挺で14億4800万なので、1挺あたりが7億2400万になります。

とてつもない金額ですよね。

宝くじ当たっても買えないですからね。笑

 

 

で、銀1000タイルの場合。

これも、ちょっと色々調べました。

1タイルってのがそもそもいくらになるのかっていうのがわからなかったので。

他にもね、貨幣の地域紙っていう本があるですけど、それをちょっと参考にしながら大体どれくらいなんだろうっていうの導きました。

 

そうするとですね、1タイルっていうのが大体10匁(もんめ)でした。

10匁ってのは昨日も言ったんですけど”重さ”ですね。

貨幣の重さ。銀とか金の重さを匁って表記します。

 

で、銀1匁が大体約80文なんですよ。

昨日一文が大体いくらかっていうのを換算したんですけど

それで行くと銀一文が大体8800円なんですよ。

 

銀一匁が8800円なので、10匁が88000になりますね。

つまり1タイルが88000円になります。

てなった時に、

 

銀1000タイルの場合

→88000×1000=8800万円

 

ということになりますね。

二挺で8800万だと、一挺=4400万ということですね。

 

この2000金の場合と、銀1000タイルの場合で

かなり金額に差が開いてしまいますね。

 

一挺=4400万~7億2400万なので、かなり差があります。

 

 

ただ、僕が個人的に思うのは、この1543年当時

この”両”っていう通貨単位が存在していなかったんですよね。

今は円とかそういう風な単位を使ってるのと同じように、

当時は両っていう通貨単位がありませんでした。

この両っていうのは江戸時代とかそのぐらいになってから使われるようになった単位です。

 

なので、この遍歴記を元にした銀1000タイルの方が信憑性が高いんじゃないかな、と思っています。

4400万だったらね、(それでも大金ですけど)何となく払えそうな気がしますよね。

 

 

ただですね、この遍歴記を調べたていた時にちょっと引っかかることがあったんですよね。

この遍歴記の著者フェルナン・メンデス・ピントっていう方について調べた時にちょっと引っかかることがありました。

 

それは何かと言うとですね、このフェルナン・メンデス・ピントさんというのはポルトガルの冒険家だったみたいです。

なので遍歴記というのはピントが商人として日本含むアジアやアフリカを旅した時の記録を日記のような形でメモしていった本ですね。

日記です。手記です。

で、遍歴記によるとですね、ピントは、この鉄砲伝来当時のポルトガル商人の一人だったとされています。

なので、1000タイルで取引したという記録もなかなか信憑性高いんじゃないかなと思ってるんですけど、このピントさんにはある異名がありました。

 

その異名(ニックネームですね)というのは

「ホラ吹きピント」

です。

 

なぜホラ吹きピントと呼ばれるかというとですね、

遍歴記に嘘や誤りが多いことから、そのように呼ばれているようです。

なんか盛っちゃったりしたんですかね。

過去の自分の冒険をちょっと人に話したい時に盛っちゃったのかな?っていう。笑

 

いろいろこの本を探したり資料を読み比べたりとか、4冊以上読んでますからね

結構ね、時間かかったんですよ。

空いてる時間にやったので、半年ぐらいかかったのかな?この数字にたどり着くのに…。

本当に時間かけてお金の事を調べたのに、

最後でピントさんについて調べたら”ホラ吹きピント”でした。笑

 

なので、もしかしたらこの銀1000タイルというのも嘘かもしれないです。

まあ、これは本当に希望なんですけど、せめて種子島で過ごした時のことだけは真実であってほしいなと思っています。

 

ちょっと話が逸れたんですけど

 

 

火縄銃伝来当時の金額についてまとめます。

 

先ほどの換算率から言うと

火縄銃伝来当時の金額は

 

一挺あたり:約4400万円~7億2400万円

 

ということになります。

かなり幅があるんですけど、そんな感じですね。

もしかしてもうちょっと高いかもしれないです。

4400万は安過ぎるかもしれない。

 

まぁでもね、もっとすごいのがですね

この購入した人、種子島時堯(ときたか)。

彼はですね、この種子島を納める大名だったんですけど、

そもそもこの額を出せるだけの財力があったのがすごい、というのが一つ。

しかも、この種子島時堯が鉄砲を購入した時の年齢が16歳なんですよ。

16歳って言ったら、今で言ったら高校生ですよ。

そんな子が見たこともないものに対して、あり得ない金額を出すわけじゃないですか。

それがすごいですよね。16歳でこの決断をしたっていうのが。

これが驚きました。

 

なので、金額に関してははっきりとこれだって納得いくような数字が出せなかったんですけど

調べてみて色々と面白い発見があったので良かったなと思っています。

 

この4400万〜7億の金額っていうのが当時の税収入の割合としたらどれぐらいの負荷だったのかっていうのもちょっと気になったりするんですけど

さすがにそこまで調べるとなるとかなり時間がかかりそうなので、今はちょっとこれ以上は深掘りしないようにしています。笑

ただ気になるには気になるので、いつか機会があったら調べてみたいなと思っています。

 

今日はそんな感じで火縄銃の値段(後編)というテーマでお話しさせていただきました。

 

 

 

僕はですね、今日はこれから山梨県にある紅葉台木曽馬牧場というところで甲冑を着て乗馬をしてきます。

これは、定期的に行ってるんですけど、甲冑だけでなく他にも狩衣だったりとか装束を着て乗馬体験ができる牧場があります。

しかもサラブレッドじゃなくて、和種馬ですね。木曽馬とか道産子とかの在来種ですね。昔からいる日本の馬に乗れます。

日本の馬に乗れるっていうところでも珍しいんですけど、装束を着たり甲冑着たりして乗馬体験ができるという素敵な場所なので度々行かせて頂いてます。

それを楽しみに数ヶ月間働いてきたので、今日は思いっきり楽しみたいと思います。

 

 

それではみなさんも素敵な1日をお過ごし下さい。

佐野翔平でした。 

 

 

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