火縄銃の値段(前編)
本日のテーマは「火縄銃の値段(前編)」というテーマでお話ししようと思います。
これもよく聞かれることがある質問なので、今回は火縄銃の値段についてお話してみようと思いました。
火縄銃といえば、とにかく高価なものという印象を持つ方が多いのではないでしょうか。
よく、「火縄銃っていくらぐらいで買ったんですか?」という質問をされます。
いくらぐらいで買ったと言っても、結局は状態によって様々でピンキリなので
それについてお話をするというよりかは、
昔の火縄銃の値段を今の金額に換算したらどれぐらいなんだろうか?
っていうところを紐解いて行こうかなと思います。
火縄銃が日本に伝来した当時は円という通貨単位はありませんでした。
給料の支払いとか買い物というのは、金や銀や銅などの金属を成形して作ったいわゆる貨幣というものを用いたり
後は米とかお酒、布、海藻などの物と物々交換して取引をしてました。
金や銀などを特定の形に成形した物っていうのは、具体的には小判だったり、丁銀と呼ばれるものだったりします。
銅とかそういったもので作られたのは銭ですね。
例えば寛永通寳とか、永楽銭とか、そういったものですね。これは有名な名前なんですけど。
それは現代で使われている紙幣とか硬貨のようにそれぞれ価値が定められていました。
当時はそれを枚数だったりとか、匁(もんめ)という重さで表現して量で取引したりしていました。
働いたお給料っていうのはお金だけで支払われていたのではなく、銭とかは金銀とかに加えてお米や布、海藻などの物を支給したりしていました。
だからお金とお米みたいな感じですね。
では気になるところは、その当時のお金を現代の通貨単位「円」に換算したらいくらになるのかっていうところなんですけど
結論から言うとですね、ズバリこの金額という換算はできません。
なぜなら、さっき言ったように単に通貨・貨幣だけの取引ではなく物々交換も行われていたからです。
後はですね、土地や地域によって同一の価値基準がありませんでした。
これはその土地でしか流通していない貨幣とかがあったってことですね。
だからここでは使えるけどここでは使えないみたいな、そんな感じです。
分かりやすく言うと日本では円が使えますけど、ドルとかは使えないというような感じです。
あとは価値の変動差が大きかったから。
これも今と違って農作物とかが安定して取れるような時代でもなかったので
その時の状況によって価値がかなり変わってしまったと、そういう背景もあります。
ただ、戦国時代に貨幣は様々な種類が存在したしていたんですけど、共通の通貨単位もありました。
それは一文、二文の”文”。
あとは1巻2巻の”巻”。
そしてさっき言った”匁”などを使っていました。
で、それぞれに対するレートもあります。交換比率ですね。
これらは現代と違って作物や金銀、金もね金山とかそういう山から採ったりしていたので作物とか金銀の取れ高、
あとは戦ですね、戦によって畑がなくなってしまうとか、そういった色々な影響を受けて、後天候の影響もそうなんですけど
色々な要素によって価値が変わって行ったりしていました。
後は地域によって独自の交換比率が存在したしていたりとかもしました。
本当に円とドルの価値が常に変動してるようなもんですね、簡単に言うと。
刻一刻と価値が変わってきます。
昨日は100円で買えたものが今日は120円じゃないと買えないとか、そういう感じですね。
とはいえ当時の給料事情とか、また取引の記録っていうのは(多くはないんですけど)存在していたので
それらをもとに、おおよその金額を算出してみました。
例えばなんですけど、江戸時代では金一両は4000文と同じ価値があったとか。
後は戦国時代ですね、職人の日当(1日のお給料)が100文から120文だったという資料があったりします。
これをですね、江戸時代と戦国時代では価値が違うんですけど、そこを仮に同じだったと仮定して換算した場合
一文は大体180円の価値になります。
これはで現代の職人の日当を仮に2万円だとして、さっき言った戦国時代の職人の日当が100文〜120文だったっていうのがあるので
それを計算すると、だいたい180円ぐらいかなという感じですね。
100文〜120文だったので、仮に間をとって110文だったとして、
2万=110文だと、1文はだいたい180円ぐらいということになります。
さっき言った、金一両が4000文っていう江戸時代の指標を使うと
(戦国時代と江戸時代のお金の価値は違うんで、これはただの数字だと思ってください)
仮に同じだったとしたら金一両がだいたい72万ですね。
一文180円だったとすると4000文(180×4000)で約72万ですね。
こういう換算ができます。
こういった感じでちょっと色々と現在の価値に置き換えて行こうと思います。
他にも、戦国時代の足軽の年俸(一年間のお給料)が一石(いっこく)だったという資料もあります。
これはですねお米の取れ高とか量を表す単位で使われていました。
で、一石っていうのはおよそお米だいたい150キロ分です。
お米150キロ分のことを一石っていいます。
また、現代の話なんですけども、お米にもその年によって価値が変動してて
米相場って言うお米の相場の価格が決まっていたりします。
で、2019年12月時点の米相場で換算すると(一石を現金に表すと)年俸が約65130円です。
年俸65130円って、もうブラックどころじゃないですよね。
まあ今の価値基準とは違うんでありえないんですけど、現代のお米の価値で換算してしまうと一石が65000円ちょっと、ということになります。
逆に、年収を400万だと仮定してお米の値段を導いてみると、
1 キロのお米が約26000円です。
お米1キロ26000円ってもう超高級なお米ですよね。
現代にもしこんなに高級なお米が存在していたら、一回は食べてみたいなと思います。
でもこれはお米自体が高級だったというよりかはですね、高級というか貴重だったんですね。
お米を支給することで人を雇うことができる時代なので、お米がどれだけ貴重だったかっていうのがなんとなく想像できるかと思います。
一年間の給与が米150キロですから。
それで雇えるぐらいなんで、やっぱりお米っていうのはすごい価値があったんじゃないでしょうか。
このようにですね、時と場合によってお金や物の価値っていうのは常に変動していました。
昔のお金や物の価値について、今ちょっと説明したので、火縄銃の値段を換算して行こうかなと思うんですけど
ちょっと時間が10分越えてしまったので、それは明日の放送にしようかと思います。
急いで話してもなかなか難しい内容なので、ゆっくり話したら半分までしかお話できませんでした。笑
これは火縄銃の値段の前編ということで、本日は火縄銃の値段についてお話ししました。
それでは素敵な一日をお過ごしください。
佐野翔平でした。
→後編はこちら
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