火縄銃男子「佐野翔平」の徒然日記

音声配信「現代に生きる武士の徒然配信」を紹介しています。

武士と侍の違いについて

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さて本日のテーマは「武士と侍の違い」というテーマでお話ししようと思います。

 

武士と侍の違いと言うとですね、

みなさん案外、違いって説明できないんじゃないかな?と思います。

よく海外から日本に遊びに来てくれた人とかは、武士を見ても侍を見ても「ジャパニーズサムライ」とかね。

だいたい”侍”でひとくくりにすることが多いので、きっと侍の意味するイメージが広まってるんじゃないかなと思っていたりします。

 

具体的に、じゃあ武士と侍はどう違うのかって言うとですね

 

」っていうのは、名称の由来は人に仕えるって言うこと意味する「さぶらう」っていう言葉からきています。

厳密に言うとですね、武士と侍の違いとかっていうのは、時代によってちょっと違ったりするんですけど

まあその辺は今回はひとまず置いといて、だいたいどういった違いがあるのかっていうことで説明しようかと思います。

 

そもそも「武士」っていうのは、軍人に関わったり武芸を仕事にしている人のことを言うんですね。

なので、侍も武士もカテゴリーとしては武士になります。

職業「武士」みたいな感じですかね、簡単に言うと。

農民とか、商人とか色々あるじゃないですか、職業としてのカテゴリーが。

その中に「武士」っていうものがあるということになります。

 

で、その武士っていうカテゴリーの中でさらに区分けがあります。

その中で「侍」っていうのは貴人というんですかね、

ある特定の人物に仕える人間のことを「侍」というわけですよね。

だから、戦国時代だったら天皇に仕えている公家とか、そう言ったところに支えている武士のことを侍。

要は将軍ですね。将軍も侍ですよね。

武士の中で一番上なんですけど、一応仕えている身なので侍になりますね。

その将軍に仕えている足軽も、もちろん侍になります。

 

で、浪人(例えば上司が戦に敗れていなくなってしまってどこにも仕える身がないとか)そういった人は武士になります。

まあ、足軽も常に足軽として雇われている足軽と、普段は農民なんだけど戦の時だけ足軽として駆り出される足軽がいるので

そこはまた変わってきちゃうんですけど、

でもその浪人などの、特定の主人を持たない人を武士という。

元々、全員武士なんだけど、武士。

で、誰かに仕えることが許された武士は侍と呼んでいるそうです。

 

元々は平安時代…もっと前かな?平安時代に登場した時の侍っていうのは、今でいうところの執事とか秘書とか、又は検察官とか公務員に当たるような人たちですね。

だから戦う能力がなくても侍と言ったみたいですね。

そういう、仕える人の近くで働いていた人たちのことを侍と言っていたみたいです。

まあ役人なのかな?

 

で、だんだん時代が戦国時代に進んでくると色んな所で武士というのが出てくるので、自然とそういう戦う能力があって誰かに仕える人のことを侍と呼ぶようになっていたと言われていたりしますね。

 

なかなか定義が曖昧だったりするんですけど、

ざっくりいうと全員武士。

本来は、戦う能力があって、

そういったもの(戦い)を生業としてる人たちのことを「武士」と呼ぶ。

その武士の中で、誰かに仕えている人のことを「侍」と呼、ぶという感じですね。

 

うーん、だから、信長とかって何を目指していたんですかね…。

元々は武士、侍ではあったもの、最終的には公家とか天皇を差し置いて、自分が日本のトップに君臨しようとしていたわけじゃないですが。

そうなってくると、トップに立つってことは誰かに仕えているけではないので、武士になるって事ですよね。

それとも何か新しいカテゴリーを作ろうとしてたのかなあ。

ちょっと色々と考えちゃいますね。

ややこしくなっちゃうんでやめときますけど。笑

 

あと、”武士道”とかっていう言葉がありますよね。

武士道と言うか、これは武士だろうか侍だろうが共通している心得なのかもしれないんですけど

武芸っていうの、侍にとって習得が必須になってくるわけですよね。

時代が戦乱の世になっていくと。

 

武芸というのは軍学とかですよね。

軍学っていうのは傭兵とか戦術、あとは兵法ですね、そう言ったのに関する学問のことを軍学と言ったりします。

そういったものの習得は武士、侍にとっては必須になってきますね。

 

あとは、武士道として知られる独自の理念というのがあって、

例えば一命を通して主人に仕える・自らの言動に責任を持ち命をかける・失敗は自らの命であがなう覚悟を持つ

などの思想を守っていました。

 

こういう、命をかけるという考え方から「切腹」っていう風習が生まれたとも言われています。

切腹というのは、自分のお腹を自分で切ることですね。

これは、他の人に殺されるということではなくて、自分の手でけじめをつけるという、武士道というか理念の持ち方ですかね。

誇りのある侍の精神を守っていたということだと思います。

 

一応、西洋に”騎士道”っていう武士道に似たものがあるんですけど

責任を取るために自ら命を絶つという思想はないみたいですね。

自分の責任の取り方に命をかける武士道というのは、世界で見ても日本独特の文化なんじゃないかなと思います。

 

責任をとって命を絶つ事がいいかって言われたら、そうじゃないし

実際、戦乱の世の時代っていうのは何があっても生き延びて、自分たちの家族・土地を守るというほうが、実際は考え方(生き方)としては多かったはずなので

どこかで何か変わっていったんでしょうね。

実際の命を絶ったからといって、状況が何か変わるってことはまあまあないので、

やっぱり生き延びて、自分の力で失敗したとしても挽回するっていうほうがいいんじゃないかな?と個人的には思っています。

いつも言っていますけど、失敗を失敗で止めない。

その先まで走って、失敗をなかったことにするぐらい新しい手柄を立てたりとか、良い思いをすればいいだけの話なので。

 

僕は現代の武士とは言っていますけど、自分で命を絶つなんてことはしたくないなと思っていたりします。笑

 

まあ簡単なんですけど武士と侍の違いについて説明してみました。

 

本当に一言で言うと

武士はカテゴリー。

武士の中でも誰かに仕える人を侍。

 

と呼ぶということでした。

 

 

それでは素敵な一日をお過ごしください。

佐野翔平でした。 

 

 

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