火縄銃男子になったきっかけの話(2)
火縄銃男子になったきっかけの話(2)
おはようございます。
現代の武士こと、佐野翔平です。
火縄銃射撃競技選手だったり、伝統工芸品の販売をしたり、コミュニティ型ファンクラブ「佐野翔平の挑戦」の運営をしたりしています 。
この放送は、コミュニティ型ファンクラブ「佐野翔平の挑戦」の提供でお送りします。
本日のテーマは、火縄銃男子になったきっかけの話の続きをお話ししようと思います。
(前回の話は→火縄銃男子になったきっかけの話)
先日、僕が火縄銃男子になったきっかけということで、中学2年生の時にはじめて火縄銃の演舞を見て、もろもろあって火縄銃の鉄砲隊の仲間に入れてもらうというところまでのお話しをしました。
なので、今日はその仲間に入れてもらってからの話です。はい。
えーと、鉄砲隊の仲間に入れていただきまして、で、そのシーズンはですね、もうそのお祭りが11月のお祭りだったんで、そのお祭りのちょっとあとに仲間に入れていただきました。で、一番最初の僕の鉄砲演舞のデビューのお祭りが翌年の4月の春先に、静岡市の山奥のところでやりました。いまはちょっと、そのお祭り自体は無くなってしまいまして、僕としてはその場所では一回しか演舞をやっていません。
まあそこで、鉄砲演舞をやらせていただきました。ほんとにね、はじめて自分が演舞をするっていうのが、なんだろうなあ…もちろんね、火縄銃って火薬も使いますし、100%安全が保証されているものでもないので、やっぱり恐怖心というものもありました。
ただ、えーとね、その恐怖心というよりも、好奇心ですよね。そちらのほうが上回ってしまって、怪我したらどうしようということより、撃ったらどうなるんだろう?ということの方が頭の中にいっぱいで、ほんとに楽しくてしょうがなかったですよね。
まあね、ほんとに…なんだろうなあ…バカですよね(笑)病気っていうか、もう好きすぎて、こういうことをやっていて最悪事故をして命がなくなってしまってもいいっていうくらい好きでした。うん。
まあ今はね、もっとやりたいことがあるし死にたくないなっていうのはあるので、その時みたいに何も考えずにやるってことはないんですけど、その時は本当に何も考えずにただやれることが嬉しいという感じでしたね。
そんな感じでデビューしたわけなんですけれども、そこからですね、だいたい年間で言うと最低でも3~4回くらいは、県内外で演舞をするという機会があったんですけれども、もうほんとに最初の1年はただただ楽しい。
自分がずっと憧れていた場所、演舞する場所ですよね、に立ち、憧れていた人たちと一緒に火縄銃の演舞ができるっていうのが、それが本当にただただ嬉しくて、僕自身は楽しんでたんですよね。演舞というものを。
ただ、あるときに僕の中で意識が変わるっていう出来事がありました。
その出来事っていうのがですね、お祭りに遊びにきていらしたお客さんがですね、僕に声をかけてくれたんですよね。
「火縄銃の演舞初めてみました。火縄銃の歴史ってこういうふうに聞いてるんですけど、こうなんですよね?」「歴史は〇〇という武将が、こういうふうに活躍して、こういう功績を残した人なんですよね」っていうふうに、すごい歴史が好きな方だったんでしょうね。ほんとに熱心にいろいろと話をしたり、質問したりしてくださったんですよ。
ただ、僕としましてはですね、そういうお客さんが声をかけて質問してきてくれたことに対して、これは間違いないという自信を持って答えを教えてあげられるっていう…まあ教えてあげられるというとちょっとおこがましいのですが、お客さんからしてみれば僕らはもう演舞をするプロの側なので、プロとお客さんという立ち位置になりますよね。なので、やっぱり答え合わせをしたくて話しかけてるわけじゃないですか。
それに対して僕は自信を持って受け答えすることができなかったんですよね。
で、その時に気付いたんですよね。
僕は今まで初めて火縄銃を見てから仲間に入れてもらうまで、歴史とかそういったものをコンテンツとして楽しんできた。で、今回たまたま仲間に入れてもらった。
だけど、仲間に入れてもらったとしてもですよ、僕自身は火縄銃を撃って楽しいとか、甲冑とか衣装を着て楽しいみたいな。
結局、そのコンテンツとして楽しむということの延長だったんですよね。
だからただ本当に、言葉は悪いかもしれないですけど、盛大なマスターベーションをしていたっていう。僕自身が楽しいっていうのをただただ見てもらっていただけっていう。
なんかね、今考えると非常に恥ずかしいことをしていたんですよね。
で、結局そのお客さんの一言で僕自身が、自分がただ一人で楽しんでいただけなんだっていうことに気付かされて。
プロですよね、パフォーマンスする方、見せて伝えていく方に立たされている人っていうのは、もちろん楽しむことは大事なことなんですけれども、自分自身が楽しむということ以前に見てくださっている人を楽しませるだとか、次世代につないでいくっていう使命というか役目も同時に背負っていかなければいけないんだなっていう、そういう責任を感じました。
で、そこからですよね。僕自身が好きだっていうところだけでなく、もうちょっと深堀したりとか、それに関連することを広めに勉強したりとかして、来てくださっているお客さんたちになにか質問されてもぱっとすぐ答えられるように勉強したりとかね、研究したりとか、そういう形で、「楽しませるためにはどうしたらいいんだろうか?」っていうことを考えるようになっていきました。
そこからはね、やっぱり自分が楽しい云々っていうこともありますけれども、それよりも、どういうふうに演舞をしたり、立ち振る舞いや見せ方をしたらカッコよく映るかな?とか、もっとなんだろうな、僕自身が初めて中学2年生のときに見て憧れを持って入りたいと思ったように、今度は僕自身がそういうふうに見せて子供たちに「ああ、なんかやりたいなあ」って思ってもらえるか。どういうふうにやったらそう思ってもらえるかっていうのを、すごく考えるようになりました。
そういう風な心持ちで演舞をするようになったのが結局2年目の終わりのほうに気づいたので3年目くらいですかね。
3年目くらいからはそういう心持ちで活動に従事するようになりましたね。
そのころから、鉄砲だけではなくて甲冑隊の活動もそうなんですけれども、もうちょっと視野を広げて、鉄砲とか歴史っていうより、日本の伝統だよなっていうような考え方にそのころ…もうちょっと先からなっていくんですけれども、それも結局はお祭りで出会ってきた職人さんだったりとかね、そういう伝統を繋いできている人たちとの出会いの中とか、お話しを聞いていく中でまた心の心境の変化が起こっていくわけですけれども、またその職人さんとの出会いの話だったりとか、伝統とか、文化とか、精神とか、そういうもう1つ、2つくらい視野が広くなったというか、考え方の幅を広げたきっかけとかの話もまたどこかでしてみたいと思います。
それでは今回はこれくらいで終わりたいと思います。
それでは素敵な1日をお過ごしください。
佐野翔平でした。
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